10年、そして6ヶ月
アメリカの同時多発テロ(911)から10年、今年の大震災から6ヶ月。
早いですね。。
同時多発テロの時は、リアルタイムでTVを通してビルに突っ込む航空機や、その後崩落するビルの映像になんとも言えない思いでした。
いったいどうしてこんな酷い事ができるのだろうかと。
あのテロの後に引き続いたのは泥沼のアフガニスタン紛争、イラク戦争。。。。
この10年間で、世界は平和になったのだろうか?
暴力には暴力で、痛みには痛みで返すことが正義なんだろうか?
難しい問題です。
もちろん、テロ後から、アメリカ国内から暴力に対して暴力で返すことは正しい事ではない、という意見が少なからず出てきていたことは大きな救いだと思います。
そして、それをはっきり主張する人たちが少なからずいるというところが、また別の意味でアメリカらしいところでもあるかな、、、、というか、日本人ならあまり表立って主張しなさそうですよね。。
震災からは半年。
3月11日の地震の時、私は皿のブラッシングをしながら、夕方になったら犬達と三浦海岸に遊びに出ようか、それとも漁港に近い公園の方に行こうかと考えていたところでした。
つけっぱなしにしていたテレビから緊急地震速報が聞こえたので見たら、地震の地域は東北。
それなら遠いからこちらにはほとんど影響ないだろう、心配ないな、などと思ってすぐにブラッシングに戻ったことを覚えています。
戻ってさて、と思ったところで揺れ出し、それが予想より大きな揺れで驚いてブラッシングどころではなくなってしまいました。
その時に頭をかすめたのが、地震が内陸部だったら、ほんの数年前に大きな震災があったばかりなのに大変だな、ということでした。
いずれにしても遠い神奈川のここでこんなに揺れるのだから、東北は大変なことになるな、、、と思っていました。申し訳ないけれど、この時はまだ「他人事」のように感じていたのです。
その後すぐに停電したので情報はラジオが頼り。
沿岸部が震源地だとわかった時に、半分他人事ではなくなりました。
沿岸部、大槌町吉里吉里の知りあい一家はどうなったんだろう?
津波警報が出ているにしても、まさかあんな大きな津波になるとは想像もしていなかったので、その後車の小さなナビTVで見た津波の中継画像は信じ難いものでした。
今回の震災があるまで、今までで一番被害が大きくて悲惨な震災は阪神淡路だと思っていたし、世の中で一番大きな津波被害はハイチでの大津波だと思っていました。
そして、それを超えるものがここで起こることもないだろうと。
ところが、それをどちらも何倍も超えてしまったような被害に、これから先どうなるのだろう、、と言葉を失いました。
吉里吉里の知りあい一家の消息がつかめなかった数日間、申し訳ないけれど、もしかしたらダメだったっかもしれない、、、という思いがよぎる事もありました。
なんせ海岸から直線距離で300mあるかどうか、というところに家があったのですから。。
その後無事が確認されて連絡も取れてほっとしたものです。
知りあい一家は津波で全て流された後、比較的早い段階で仮設住宅に入ることができましたが県や町の方針が決まらないため、今までの場所にまた家を建てられるのかどうか、全く先の見通しが立たないのだそうです。
できたら前と同じ場所にまた住みたい、と言っているのですが海に近すぎるので難しいかもしれません。
福島原発周辺地域もそうですが、先の見通しが立たない、立てられない、ということが一番辛いことではないかと思います。
あっと言う間に半年が過ぎ、うかうかしているとすぐに寒い冬になってしまいます。
なんとかいろいろな問題が早く解決されて、少しでも被災した人たちの生活が改善されるようになってほしいものです。
半年過ぎた今でもなかなか進まない現状にはちょっとタメ息です。
「頑張ろう」の掛け声だけでは、いつまでも頑張れないと思うんですけどね。。。
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